今日の訃報での私の思うとことか。
受け取りようにしては、失礼な奴と思うこともあるかもしれませんとは言っておきたい。




なんだか、正反対な感じで、世の中はやはり不平等だと思う次第。
きっともっと生きていたかっただろうと思える人が居なくなるのが、この世の常。
家族も、友人も、大好きな画面の中の人達も、そして私も。
それは明日かもしれないし、何十年も先かもしれないという事も。
その事実が自分の足元1歩先にあるとはわかっていても、理解し続けることができない事も。



川島さん、ワンマンライブに行ったりしていたくらい好きでね。フェスなどに出られていたときもいつも見にいっていました。
ツイッターもバンド公式は彼が動かしていて、ずっとフォローしていました。彼の撮る写真が好きです。
彼が病気だと発表があって、一時期回復して活動されて、そしてまたお休みされて。そういうのを細々ながら追ってきて、今日のを見たときは妙に息の抜けた感じがしました。少し前に読んだ中野さんの文章はとても濃密な感じで、こちらもぐるりとする気持ちになりましたし、それが現実だったのでしょう。
中野さんの文章を読んで、あの時感じたぐるりとした気持ちが解けたと思いました。すごく良い文章でしたね、本当に、本当に。
彼がどのような闘病生活をしたかは私はもちろんわかりませんが、なんとなく、みんな納得できたんじゃないかと勝手に思ってしまえる中野さんの文章には涙がこぼれました。
どんな大きさの場所だって、中だって外だっていつだって、ステージに向く全員、後ろの後ろまでまさに「熱狂」の一言につきる素晴らしいライブをありがとう。



その一方で、田中さんは急だったようで…もう…言葉が出ないです。
もちろん、志半ばであってであろうご本人もそうでありますが、ご家族や親しい方々の事を考えるとたまらない気持ちになる…。
「この前元気だったやん」のあの虚無感なんてこの世から無くなって欲しい。時間薬とはいえ、今だってそれを思い出すと涙がでるよ、悲しかったことは、生きている限り悲しいんだって思うもの。
名塚さんのツイートには涙が出ました、最後のお仕事なんて…。



ああ、なんという、と思ったのはここいくつかの色々を経ての話。
誰しもいつか死ぬ人生、その最後、その話。
年をとって、病気になって、そういう段階を経て向かう場合、納得のいくというと語彙があるけれど、納得のいく終わりを迎えることができる可能性は高くなると思う。
母がそういうことを言っていて、なるほどなと思った。
死については、自分が死ぬことよりも、大事な人が死ぬことの方が恐ろしくてたまらない。私はロマンのように死にたい、それはさて置いて。
人が何時死ぬかわからないんだと思い、1年に1回帰るか帰らないかの私は、実家に帰るたびに、両親に様々な質問をするようになりました。
最初は、お葬式どんな規模でしたい?から。
一番最近は、もし入院したら会いたい人は誰?脳死になったらどうする?看取って欲しい人居る?とかですかね。
なんとなく、兄はそんなこと考えてない気がして(だって男性の方がそういうのメンタル弱そうだし)、私聞いておこうと思って。…母が亡くなった時は多分もめそうな気がする、私は知らせたい、兄は知らせたくないとか、そういう事で。まあ、私は理論だてて論破してやるぜタイプなので、大丈夫だとは思いますが。
兄については、家族がいるからもう心配ないしね。唯一心配なのは、母が亡くなった時のことよね…もう、祖母の時でも見てられなくて(と言っても誰も近寄れなかったので、私がずっと一緒に居たんだけど)、なので、母には頑張ってあと20年は生きてもらわんと。そしたら、甥っ子が25歳とかになるので、そこまできたた家族で支え合えるでしょうよ。
あ〜私その時まで独りだったら辛いね〜。でも一番辛いのは兄が亡くなることなので、兄には長生きして、私が先に死にたいです。
なんの話だこれって感じになってきたな。
どんなことしたって、後悔はするんだと思うけど、なるべくそれが小さくできるようにしたいなって話かな。
さー寝る支度しよう。