たぶん、音楽とお笑いは、使い捨てになってしまったんだと思う。


あ、すでに書き出しが面倒くさい感じですね(笑)
ついったで、フォローしてる子がリツイートしていたつぶやきを見て、考えたことをダラダラ。
そのCMとやらは知らんが、まあ・・・なんとなく想像はした。


そのつぶやきをした人。
私は、あなた方の作ったCDは一枚も持っていません。でも、どうやって作ったかとか、作られた現物をちゃんと友達によって手にしてきました。
まあ、何てことはない。
兎にも角にも、日曜は雨だけど、私はあなた方を待ちわびている。
んなこと忘れてパーリーしよう!!



まあ、せっかく考えたので、長いですが、文章に起こしてみます。
相変わらず支離滅裂ですけどw




上から目線で申し訳ないが、持て囃したメディアと、乗っかってしまう人間の問題だと思う。
平均的に、絵画であるとか、まあ・・・陶芸?よくわからんけど、ひとくくりに芸術と呼ばれるものは、心底才能がなかったら人から頭一つでることって出来ないと思う。
いやでも待ってと。
音楽だって、お笑いだって、私にとったら同じだよ。
心の中がうわーーーーーって晴れて、感動して、明日も大丈夫って思える力があるのは、全部全部一緒。
人が人のために作りだすものには、絶対に同じ力があるの。


でも、それが使い捨てに成り下がったら、何の価値だってない。
簡単に手に入ってしまって、それが手に余るほどあったら、つまみ食いで終わっちゃうのもしょうがない。


だからって、それで終わっちゃ意味なんてない。


音楽に限って言えば、その人達が、どうやって私達に伝えようとしてるのかが大事なん。
私は音楽配信に断固反対なので、余計に思うのかもしれないけど・・・。
耳で聴く言葉と、目で見る言葉はやっぱりちょっと違うんだよ。
だったら、カラオケ行ったら読めるって?ネットで検索したら読めるって?
それじゃ、あっちの人達の意思じゃないじゃんか、ってね。
紙質にこだわったり、それこそ手書きの歌詞だったり、写真の一つにだって、こだわって作ってるならさ、それまでまとめて全部受け止めて抱きしめて自分に沈めてやりたいって思わないのかしらん。
振り返ってみれば、中学の時にはまった人達、ハイスタと、バンプは手書きの歌詞カードだった。バンプは特に彼ら自身も若かったせいか、あの中からもぽろぽろと意思が零れ落ちそうなそんな作りだった。あと、ヴィジュアル系に関しては、それはそれはヴィジュアルっていうくらいだから、そりゃもう美しいもんだった。
そういうのって、今も楽しみの一つやん。それって、変わっちゃいけないもんなんじゃないの?
エコじゃないって、書いてた。ほなったら、そのエコやなんやとか言う奴は使い捨てで、ミュージシャンや芸人になった人を忘れていくんやろ、そんな事言う口裂いたるわ。


お笑いについては、ここ数年でネタ番組も増えて、出る機会が増えた人達もいるけど、消えた人も同じだけいるだろ。
大物に気に入られたってだけで、出続けられるその根性どうなってんか知りたいわって思う人もいる。
でも、私は、お笑い芸人に関しては、尊敬してる。
笑うっていう行為の力強さって、凄いって思う。
めっちゃ落ち込んでるときに、フリートークしてる某兄弟芸人を見て、ハハッて思わず笑って、笑えるって凄いなって、力がこんなに出るんやなって、私はちょっと泣きそうになった。
人を笑わせることは難しいじゃない。それを仕事にしてしまうその人達って、実は凄いんだと思う。
お笑い文化にかんしては・・・東京が甘すぎるんかもしれんなぁ。
全国ネット系で一世風靡した女芸人が、大阪の劇場でやってるの見たけど、まだ流行ってたにも関わらず、ものゴッツイ滑ってて、大阪って流石なって思ったことがあったくらいだし・・・。その女芸人も今はどこに?って感じでしょ。
こっちに関しては、利用して捨てていくメディアもどうなんって思ってるわけですけどね。



まあ、何にせよさ、選べるものは手に余るこの世の中で、いくつ自分に合うものを探すかが大事なんやよね。
作った人がいるんなら、そっちまで目を向けて、真剣なものには、自分の真剣を返さなくちゃ。
選べるものが多いんだから、自分の感覚を信じておかないといけないよね。
何でも自分で感じて、自分で選んで、自分で考えて、自分で消化して、溶かすのが良いんじゃないでしょうか。
っていう、そんな話を長く書いてみただけなのでした。。。