お友達のミクシの日記が非常に面白い内容でした。
とある人達のインストアイベントの内容だったんだけど、やっぱ面白いこと言う人達だなって。


全く、真っ白(もしくは真っ黒)、ホントに何も無い状態からは、何も生まれないと思う。
私達には、目があって、耳があって、鼻があって、手があって、舌があって、そして脳みそがあるから、考えて、そっからいっぱい作ることができるんやんか。
そしたら、その人が「見ない、聴かない、読まない」人であるならば、一体どこから刺激を受けて、ああいうのを作るんだろうかって考えた。
あの人から見たら、景色はどんなに映ってるんかなぁ?それとも、全然違うことから刺激をうけるんかな。
全くなにも見ない聞かない読まないっていうのは、不可能やから、どっかから何かが入って、それが外に出て行くわけでしょ。
あの柔い瞳とか、口元は、なにを思って動くんだろう。不思議な男やなって思った。


私は、良い!!と思ったものの影響を凄い受けやすくて、流されやすいの。
私の文章に、句点が多いのは、いつの日か古川日出男の本を読んでから、、、なのです。句点のリズムで文章を区切ると、流れるように読める、気が、、、する、だけ。
実際彼の文章は、流れるように読める。長編よりも、短編のほうが。お薦めは絶対に「ぼくたちは歩かない」だよ。


まあ、そんなことで、いつか眼鏡のぽっちゃりしたボーカリストが「それが自分の中から出てきたものならば、影響をうけていたとしても自分のもので間違いはない」みたいなことを言ってたの。それは忘れられない言葉。
隣には、優しき京都の男が座ってたあの番組でね。
それって、自然なことだし、なんか変なこと言ったみたいな空気になってたけど、作る人間の素直な言葉なんちゃうのかなって思ったのを覚えてる。


こんな普通に生きて適当に毎日を楽しんでる私も、色んなものを五感で感じて考えたりとか、してるわけだし。


んー結局、あの不思議な男を、今度、穴が開くほど見てみたいと思った。
ルーツはいったいどこからなんだろう。
見ない、聴かない、読まない、っていうのは、意識し始めてからだとしたら、どっかにルーツはころがってるでしょうに。
気になる人だ。面白い。