昨日、すとう君のガタリに行ってきました。大地君も出るし〜って行ったんですが、もうすとう君に骨抜きでした。
終始楽しくて面白くて笑いまくってもの凄く充実していました。


とりとめのない話をしながら、歌い、笑い、飲むすとう君は、なんともいえない煌めきいっぱいの人で愛しい人なんだなぁって感じです。
そこの居る事がもの凄く自然だった。
なんかこう、凄く丸くなったけど、でもシュッとしてるとこはシュッとしたままなんですね。うん、そこが良いんだわ。


歌いだした彼の声を聴いて、なにを思ったかというと「あの頃」の私でした。
何かを具体的に思い出したわけではないんですが、なんか、あの時感じていた雰囲気みたいのが浮き上がってきて、来て良かったと1曲目で思ったのでした。
なんというか、彼の存在感そのものが愛される人という感じで、本当、煌めきという言葉に尽きるという思いでいっぱいです。
でも、それって、彼が彼の周りの人達を愛しているからこそ成せることなんじゃないかとも思います。でないとメンバーの名前をつけた曲を作らないし、ましてや3回も歌わない・・・笑・・・っていうのもありますが、彼の態度でも現されてましたけどねぇ^^
凄くポップな曲(メンバーの名前ついてて、3回も歌った曲^^)の前に、彼は「彼がいなくなったらとても悲しい。みんなもあるでしょ?大事な人が居なくなったらと思うととても悲しくなること。バーチャルで悲しくなる。(という感じのことを言っていた)」私もある。とてもよくある。起きてすぐのこともある。あの人が居なくなったらと思うと悲しくて、涙が出て、そんな思いをするなら私が居なくなりたいとすら思ったりして、居た堪れなくなることが。そうして思える人がたった一人でも(いや、一人じゃないけど)居る今の生活はとても良い事なんだと思う。誰も居なくならない事なんてありえないけど、居なくなるその時まで、その人を大切に思いたい、その人が幸せに過ごしてくれたら良いと思ってる。居なくなった時には、その人の素敵なところ、好きだったところを思い出せるように付き合っていきたいと思った。いつもどんな服を着てたとか、何で笑ったとか。そういうこと。普通のこと。

そしてこの曲。ひげちゃんは今年で10年を迎えるそうです。それをたどる制作を今していると、これを歌ってくれました。
昨日、今日、明日、また明日、しにたい、しねない、またね、あいたい。きみとぼくの笑顔。
なんか、彼の書く歌詞っていうのは、言葉の断片というイメージです。それがいつの間にか繋がって溢れて零れるみたいな感じです。
いつかなくすことを知ってしまった。またねの意味の重さと、自分の無力さと軽々しい態度を呪った、優しい人に甘えてばかりだったことを後悔した。



すとう君のように愛される雰囲気の人良いなと思って、思い出したことがある。らっどの一番最近のアルバムに入ってる曲に「みんな愛される遺伝子を持って産まれてきた(という感じの歌詞です)」があるんですよ。
ちょっと宗教的に感じることもできるけど、そういうの無しで、考えるとそうであって欲しいとは思う。それがちゃんと育っていくように、たくさんのことを考えて感じて外に出して生きていけたら良いなぁって思いました。
そして、またねという約束。これはもういつものことですが、ばっくほーんの夏草ですね。「約束の意味は、その日まで生きるという意味」。本当は明日も知れない私たちの約束は確かにそういう意味もあるのかもしれない。当たり前の意味を改めて知るみたいな感じです。



まあ、色々と思い出してはぼんやりと惚け、いちいちイラついてても仕方がないんだと思い直したりしました。
顔見るだけでイライラなんてしちゃだめだな、愛されない^^
明日からも頑張ろう。