好きなことと、嫌いなこと。
嫌いなことでも、きっとどこかにそれを好きな人がいる。多分、いやきっと。
だから、なるべく、嫌いなことは、人前で嫌い理由なども言わないようにしている。こういうとこでも書かないようにしている。
なるべく。デキた人間じゃないので、言ったり書いたりしてるとも思うけど、なるべく考えるようにはしている。


相変わらずの偏りがちな意見です。
何についてなのかは、明確にはしていませんが、嫌な思いをした人がいらっしゃったら、すみません。







だからこそ、思った。
貴方たちに、何故、私達が見下されなくてはいけないんでしょうか。
一体、貴方たちは、何を知っているんだろう。



貴方たちが嫌いな理由は知っている。その理由も頷ける。
だけど、私達が好きな理由も知っていますか?と尋ねてみたい。




貴方たちが、嫌いなこと、私は大好きなんだけど。
胸をつまらせて涙を見せたあの子の瞳を知っているのかな。
伸べられた手に触れて、確かな実感を感じたことはあるのかな。
滾る叫びに、心をえぐられたことはあるのかな。
それに、何の迷いもない、真っ直ぐな、ただ真っ直ぐな笑顔を見たことはあるのかな。




私は、あれを、「自由」とは呼ばない。
嫌われてること、知っているから。嫌われることは、やはり気持ちのいいものじゃないから。
だけど、本当に、貴方たちに、私達を見下す権利も筋合いも、何もないと思うんです。どうなんでしょうか。
もしも、見下す権利も筋合いもあると言われるのなら、私は、そんな人達を忌み嫌うしか、逃げ道がありません。
私は、貴方たちの何も知らない。だから、その知らない人のことを、たかだかブログのたかだか1日分の文章だけで、心底忌み嫌うなんてこと、したくないんだよ。



理解して欲しいとも、好きになって欲しいとも思わない。
だけど、少しだけで良いから、好きな人がいるってことを考えて欲しい。
好きなものを、暴力的に見下される気持ちを想像して欲しい。
こんなこと言うの、間違ってるかなぁ、でも、考えて欲しいんだ。
私だって、貴方たちのことを、私達を見下す乙女様だなんて、厭味なこと思いたくないんだよ。



涙の欠片を、叫びの破片を、笑顔の断片を、大事に大事に持って帰って、明日からも走れるんだと、大きく頷く私達の姿を、くだらないと思わないで欲しい。
見えない力をこの手にしっかり握り締めに行くんだよ。



完全に、自分勝手な意見を書いてしまいましたけど・・・
でも、悲しかったから。
見下された・・・と思う文章を読んだときは。



まあ、奇麗事です。失礼しました。