昨日、ラッシュのバスチケ発券しに行ったら、その店の店員にロールケーキもらいました。
ええ、知り合いですから。前日、余ったお弁当を差し入れしたお返しだって。
律儀やな〜って言ったら「やろ?これが出来るから、女がほっとかへんねん」とか自分で言いました。アホかーって言っておいたけど、確かになのですね。良い奴です。
そんなバイト仲間らと、今のうちにみんなで遊んでおこうと、(多分)我が家で闇鍋するらしい。なんで私の居ないうちに、我が家を使うことで話が進んでいるんでしょうね?まあ良いか。


明日のラッシュにむけて、早寝します。
疲れがたまってたので、今日は出勤前に、栄養ドリンクを飲みました(笑)年やな〜・・・わはは。
明日は、必要最小限にはしゃいであとはゆっくりゴロゴロにするねん。
F.I.BとYSIGだけは譲られへん!!





1つ前の記事。
の、続きのようなもの




とあるブログを読んで、「うわ」と思って、1ヶ月くらい、なんであのブログで私は嫌な感じがしたんだろうと思っていた。
で、私の大好きな、大好きなあの人の文章を読んで、ハッと気付いたんだ。それと同時に、安心した。
あの人の文章は、いつも私に元気と勇気をくれる。あの人の文章で書く気になれたし、書くことも完全にまとまった。
それまでは、ここにかけないほどの口汚い言葉が頭の中をグルグルしちゃってて。
そのグルグルの言葉は、間違いなく私の考えついた言葉たちで、そんな言葉考えちゃだめだ、嫌いと好きの主張の相容れなさにヤキモキして、自分の言葉のチョイスに自己嫌悪したりして。
知り合いでもない人の文章一つで、ここまでグルグルすると思わなかった。それほどに、私は、それを好きだったのかしらね。
でも、あの人が「自由だ」と宣言してくれて、私の頭に風穴が通ったよ。
私は、あれを「自由」とは呼ばないと書いた。それはずっと変わらない。私が知っている人でも、あれを嫌いな人がいるであろうし、その理由はホントにわからんでもないからさぁ。
だけど、あの人が「自由」と呼ぶことは、とても意味があるように思う。あの人は、全てにおいての表現者だと思うし、今までのたくさんの経験や考えを踏まえての「自由」だと思うから。
私みたいな、単純なリスナーに「自由」を宣言する権利は・・・あまりあるように思えない。(まあ、各人が自由と主張したいなら、すれば良いとは思う。だけど、自由という言葉は、想像以上に奥の深い言葉だから、私はあまり使いたくないと思っているだけで)
あの人が「自由」と書いてくれたことで、カンチガイをしないようにしたい。
あれはあの人なりの、私達への救いのメッセージだと、勝手に思った。
私たちは、それを、しっかり受け取って、しっかり頭の中で消化すべきだ。
カンチガイは無しにしよう。
好きだと主張するからには、嫌いだという人もいることを絶対に忘れてはいけないんだよ。
好きと嫌いにかなーーーーーーり深いミゾがあるけど、いつか、そこに細くてもいいから、橋をかけて、手を差し伸べあえたら良いと思う。
遠い遠い先の話かもしれないし、ミゾは深くなるばかりかもしれない。だけど、そういう未来、思っててもいいんじゃないかと思ってる。
その気持ちが、私のあの人の文章へ対する返しだと思う。
あの人は、受け取ってくれるかな。きっと、受け取ってくれるよね、あの、飛び切りに真っ直ぐな笑顔で!!
まあ、実際にあの人に会うことも、話することも、一生無いと思うけど。へへへ。


ただ、残念なのは、そのブログ。
たまーに好きで読みにいっていた数少ない知らない人のブログ(基本的に、知らない人のブログは読まないので。それでも、面白いな〜って思う人は、知らない人でも読むのです)だったので、非常に残念。
もう、そのブログには行かないと思う。私はそれくらい極端なヤツである。
以前、ミクシで心の中が真っ黒になるような文章を読んだ。たった一言「意味無い」の一言で。
好きなものを、否定されるのは、本当に、悲しいし、怒りにもなるもんだね。
マイミクだったその人に、私は、二度と会うことは無いだろう。会ったとしても、うまく喋れる自信は、微塵も無い。