私は、自分のことを、なんてまあ八方美人な人間なんだって思うんです。
良い意味にとってくれても、悪い意味に取ってくれても良いんです。
色んな方面に友達とか、知り合いとか居て、その人達は考えてることとか、声のトーンとか、色んなものが、それぞれに違うんです。
地元の友達、専門学校の友達、バイト先の友達、rdm方面の友達、カクバリズム方面の友達、スパルタ方面の友達とか、色んな形で人と繋がって、この人達のこと、好き、だから一緒にいたい、話をしたい、そんなことを思って、今までやってきた。
それぞれの友達には、それぞれの友達のトーンがあって、私は色んな形でそれに順応できたら良いと思ってて、それぞれのトーンやテンションで、その場にあわせていきたいと思ってる。
全然違う自分な、って思う瞬間もあるけど、それは決して作ってるわけじゃなくて、それはその瞬間で、全部自分の中から出てきた自分なわけです。
え、もうわけわかんないですよね。
まあ良いです、自己完結日記で今日は終わりますから。


ただ、自分で選択できない場所もあるじゃないですか。
例えば、仕事とか。
いつも友達たちと自然の話して、自然にそのトーンに合っていくような感じはなくて。
ああ、今、なんか違うトーンだなって思っても、そのトーンを崩すわけにはいかなくて、そんなことって、仕事して、そこで人間関係をつくっていくと、色々あるもんだなぁって。
私の勤務してる会社は、小さな会社なので、飲み会なんてのはなくて、仲間内で飲むーみたいのしかないのに。
それで誘ってくれるってことは、私を少なくとも悪く思ってないってことだから、それをグルグルにするっていうのは、私自身ではできないと思う。
ふじゃ君じゃないけど「嫌いなヤツほど笑顔!」っていうほどひどくないけど、時間が進むにつれて、ついていけなくなってくる瞬間が多くなる。
それでも違和感を感じながら最後まで居る自分が、良いのか悪いのか、なんだこれ?って、帰りに独りになるといつも思う。


お風呂に入って、思考が廻りに廻って、どんなに美しいものがあっても、それを見れることが出来る人と出来ない人がいるんだって思って。
ここで毎日生きて、その美しいものに、触れる距離にいる、自分がどうなのかって思うと、なんだか悲しくなってきた。
お風呂から出て、景気つけにと、楽しみにしてた予告YouTubeを見たら、それがやっぱり非常に美しくて優しいもんだから、余計に悲しくなってしまった。
この美しいものを、みんなの手に、握ってもらいたい。
私が、美しいの!!と、笑ってさしだしたら、みんな笑って受け取ってくれたら良いのに。そしたらそれが一番素敵な関係の人と人なんだろうなって、超絶奇麗事を考えてしまう。


うむっ寝るっ!