なんか、腑に落ちないんだよ。
そりゃ言いたいことは山のようになるだろうさ。
でも私がそこに行かなくなったきっかけは、ソレが増えたからだよ・・・気持ちが悪いんだよ、私には。
だからって作っちゃえば良いなんて簡単なことは言わないけどさ・・・。
どのジャンルも量産されてはポイ捨てされる時代なんだな。
なんでも簡単に手に入るって怖いことだよ、なんだかさ。
なんだろう、私はもう夢中になれなくなった自分が嫌なだけなのかもしれないなぁ。
良いものにあまり出逢えてないかれかなぁ。。。はぁ。


書きだしたら、ぐちゃぐちゃになってしまった。
相変わらず偏見バリバリかもしれん。すまん。




人が人のために作りだすものが、どれくらい素晴らしく、時には人の心や命を救うことがあるってことを、私は知っている。
愛して止まないものも沢山ある。夢のような悪魔も、ゆるいラブコメも、独りでベッドのしたで頭を打って泣く青年も、愛したものは、私を今でも元気にしてくれる。
だけど、それだけじゃないって感じてるっていうのもわかって欲しい。何か絶対これって違うって思ってるってことも知って欲しい、知ってるかもしれない、だったら、完全な主張だけ通さないで欲しい。
量産されて、持て囃されて、あっという間にぐるぐるにされてぐちゃぐちゃに混ぜられて、最後に縛られてしまうのは、受け取り手の私達ではなくて、発信者の方であることは、わかっている。
だけど、なんか違うんだって思ってるんだ、少なくとも私は思ってる。大好きだったはずの場所に、今は足を踏み入れたくなくなってしまったなんて、バカみたいな話だけど、本当の話。
今でも好き、触れたい、でも見たらげんなりしちゃうものがあるってわかってて行くほど私は心が広くも強くもできちゃいない。
だったらネットでってことも言えるけど、なるべくそれはしたくない。私は今でも大事にしたい気持ちがあるから。
好きなものだもん、今は、都会に住めてるんだもん、自分の足で買いに行けるんだもん。だから、自分の目で棚に並ぶものを手に取って、やったぁって気持ちを今でも大切にしたいだもん。
発信者の言葉を読むと、なんか泣けてくる。「土足で」とは確かにそうかもしれない。そんなの許しがたいかもしれない。


だけど、私はこうも思う。
わたしはソレが非常に好きだ。たくさんのものを手にとってきた。
でも、今は店に行っても、その場所には行きたくない。なんか変だから。時代の流れのものがソレらだというなら、私は避けておきたいと思うようになった。
その奥には、素晴らしいものがきっと無数にあるのだということも知っている。だけど、入り口にあるのは、時代の流れにそったものではないか。
前は出来てたんだ、入り口の奥にある、もっと面白いもの(というか、自分の好みのもの)を探そうという気持ちをもって向かうことがね。
だけど今は入り口のそれが目に余るんだ。好き、と思う私で目に余るんだ、受け取り手にもなりえない大人の目には余りすぎるんだろう。
その流れが、ここまでのことを引き起こしてしまったんじゃないの。
そういうことは棚に上げないでもらえますか。発信者の大元が悪いのか、発信者が悪いのか、時代が悪いのか、そんなことは私は知らないけども、受け取り手の違和感っていうのはどうなりますか。
そもそも、違和感なんて、無いじゃないかって話ですか。。。それとも、土足で踏まれたのはそっちだから、こっちは関係ないとでも?
悲しくなって、次になんか益々腑に落ちない。


受け取り手なんて、受け取ってるだけだから、どうでもいいのかもしれない。
でも発信者だけが傷つけられてるみたいな感じ、どうにもやっぱり腑に落ちない。
そっちが傷ついたら、こっちだって傷つくよ。勝手だし、そんなこと知ったこっちゃないって言われて終わりかもしれないけど、そういう厳しい感じはどうにも。
私はそういう意見を聞いて、そうだね、頑張れ!とニッコリしたり、怒ったりできない。単純に腑に落ちなくて悲しい。