自分向いてないなって思うのは、他人の言葉にイチイチ反応してしまうからやと思う。
別に、サラッと流せばいいんやけど、でも好きだなって思う人たちから発信されるから、やっぱ引っかかってくるんやと思う。
昨日の夜から、ギチギチに固まりつつあったものが、今日の帰りで溢れてしまった感じがある。
とりあえずそれに対する自分の思いを言葉におこして(かなり乱暴な言葉になってしまったが致し方無いですね)、ワールドレコード聴きながら「コンテンポラリーーーエキゾチカローーーーック!!オーーーーケストラッ!!!!!!」って、心の中で一緒に叫んで、その後でメンバーも後半ポカーンとしたらしいキラくんのデュエット最後のギターソロをわりと大きな音で聴きながら夜道を歩いて帰ってきて、ザバーンと風呂に入って、乙一を読んで、ドラマの続きを見てせぶみーーー!!と泣いて、今は割とすっきりしております。(すっきりするまでに時間がかかりすぎている!笑)


でも、それとは反対に、うーん、ふふふ、、、っていう素敵な言葉ももらったり、先輩後輩のホントどうでもいいやりとりに笑ったりとかもしてるので、良いも悪いも自分次第なんだよなって気がします。結局はね。
「大人だよね。。。」って書いてた。確かに大人だよ、でもそれは本当は普通に守られるべき点なのだ。「自由」とはそういうものではないのと常々思っておるのですよ。
・・・っと、書きだすとまた火がつきそうなので止めます。


今日は早起きしたおかげで、久しぶりにボクらの時代を見れたよ。
これ見て、ずっとずーーーっと、私が「ああ海が見たい海が見たい」と思ってた謎がとけた気がした。
いやまあ、立場違いすぎるからっていうのはわかっておりますが、高台に立っては写真を思い出し、何度も何度も想像してきた事でもあるし、それがそんだけ楽しくて優しくて恐ろしいかは一応育ってきたもんで、多少は知っています、でもその大きさはやっぱり大事なものなんだって思った、なんか改めて。
実家にいるころから、もやついたら、4時とか5時とかに起きだしてお気に入りの場所で眺めたり、最近は帰ったら兄ちゃんと釣りしたり、独りで散歩したり、やっぱり切っても切れないものなんだなぁって思ったんよ。私たちの大事な家族だった子(猫たち)にも大切な場所だからさ。。。
別になんでもない話だけど、少しやっぱ書いておきたかった。
あまり好きじゃなかった田舎は、どうやっても自分の底に大切に保管されているし、自分をつくった大事な場所でもあるんだと思う。