今日の帰り道で初めてゲリラ豪雨に見舞われた。
ほんと、「ドンッ」って感じ量で、一瞬「あれ、傘いらないんじゃね?」みたいな錯覚すら。風が無い場所を歩いてたのは幸い。
目についたスーパーへ一目散に入り、別に買うつもりのなかったしめじを買うという。(せっかくなので夕飯で使った)


もうあっという間に7月ですね、、、歳だけを取っていきます。ああ怖い怖い。。。苦笑。


あれからほんと何が何だかわからないうちに時間だけが経って、やっぱちゃんとと思ってみると、おわわってなるのよね。
真っ白なまま進んでいくほぼ日のページがなんとも重苦しくて、ぽいっと投げてただのメモ帳を使いはじめ、ほとんど無駄な絵で埋め尽くされつつあります。
こないだ、休憩中に音楽聴きながらそのメモに般若の面をかぶった青年(某PVより)をなんとなく落書きしている姿を上司に見られていたらしく「休憩中に勉強してんの?」と問われてしどろもどろになりました。まさか、般若の絵を描いていましたとは言えまい。。。
あと言葉ってなんなんっていうのも、また考えるきっかけになりました。私の嫌いな言葉リストに「こんな時だからこそ」が加わりました。
まあ言い回し一つなのですがね、こういうのも、みながデリケートになっている時には充分に気をつけなければいけないのだろう。押しつけがましい言葉は焦りとか閉塞感を生む(と、私は感じているだけの話ですよ)ので、おろおろしたこともあった。
幸いに、目の前に立つ人たちは、サラリとしていてほっとした。奥には絶対それはあるけど、それを全面に出すことはなくて、本当に“サラリ”だったんですよねーーみなさん。不思議なもので、安心感半端無かったー。
読んでみなければ、見てみなければと思うものもほとんど読めて見れてないんですが、いくつかの対談やインタビューも読みました。けっこうみんなわたわたおろおろして一番大切なものを守るにはと目の前に捉えられたり泣いたりしてることを知った。人間だもの(みつを)当たり前だけどよ。




そう、言葉繋がりでいえば。
元々考えてないわけではなかったんですが。寺巡りが好き故に、説法とかも好きですしね、まあここ数年間で、今までよりも死ぬってことを考えるようになった。
それに伴ってというか(私の読み方がそうなんだろうけど)それに関するような歌詞がどんどん飛び込んでくるようになった、そうとらえることが多くなった。
確実な引き金になった事を思い出すことがやっぱり一番多くて、それで、切なくなって悲しくなって苛立って涙出たりとかする。
直接的に、いちにのさんって歌っちゃう人も、いてた過去と優しく歌う人も、色々だけど、まあなんというのか。



後輩くんが「ハンターハンター読みましたか!?」と喜々として質問してきた。
残念だかまだ読んでないのだ。間が空きすぎているので、とりあえず漫喫で最初から読みたいのだよ、私は。
「絶対読んでると思ったのに」とガッカリさせてしまったので、読んだら声かけるよ、盛り上がろうぜ。
彼と私の間では富樫先生は天才です。



さあ寝よう。
明日は目覚ましなんかかけないゼ。