その時が来ることをずっと意識しておくことは絶対に不可能だ。
楽しい時や嬉しい時は必ずそういう思考は奥底に仕舞われて出てくることなんてない。
だけど、その時が必ず、そして自分が居る以上何回も訪れることについての覚悟は微塵でもいいからしておくべきだということは常々考えてはいる。




しかし、現実にその時が訪れたとしよう。
きっと覚悟はもろく崩れ去って、たくさんの事を思い、話し、うずくまるのだろう。
その気持ちがおさまったとて、何を機にそれが蘇ってくるかなんてわからない。
だけど親しくあって愛されたものであれば必ず泣いた後でも笑える時がくると思っている。




なんか、こういう話を聞くといつもそうやって考える。